2016年12月

欠乏と進化

大串さん、こんにちは。廃棄物の問題。現代社会の(といっても、本によると日本では江戸時代の大都市江戸においても頭の痛い)厄介な問題ですね。この廃棄物利用の進化ですか、おもしろい視点ですね。マイナス進化、弱者の進化の範疇で捉えたらよいでしょうか。その意味では、ありうる話であると思いますが、ただ、もうちょっと突っ込んで考えてもおもしろいと思います。

>欠乏からはたいした知恵も進化も生じないということです。<(10081、大串さん)
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豊かさか欠乏か>大串さん

レスありがとうございます。

なるほど。既存の生態系において多量の「廃棄物」も、それを利用できる生物にとっては「豊かさ」になりますね。

しかし、私も山田さんが言われるように、進化の条件とその背景とを区分する必要があるのではないかと思います。

それまで多数派だった嫌気性生物にとって、酸素は単なる「廃棄物」ではなく否応も無い「有毒物質」だったわけです。彼ら嫌気性生物にとって、大気組成の酸素比率が増していくことを「公害」と思いこそすれ、「豊かさ」とは考えられなかったでしょう。

人類にあてはめれば、大量のダイオキシンや核廃棄物を「豊かさ」であると思え、というような実に乱暴な話になります。

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廃棄物が富に変身

村上さん、はじめまして。
<ここでの豊かさとは、それまでの生物にとって猛毒であった酸素がたまった状況のことでしょうか?何が豊かさなのか?わかりにくっかったので教えてください。>

酸素の場合、たしかに嫌気性生物にとっては猛毒なのですが、その一方で糖との反応で大きなエネルギーを生み出す可能性をもっていたわけですね。そこで、なんとか酸素の毒に耐えるだけでなく、酸素の秘めるエネルギーを利用できる生物にとって、酸素大気はものすごい「富」であることになります。その上、今までの生物は全て嫌気性で酸素に耐えられないから、酸素大気にさらされた場所では初期の好気性生物は競争相手が全然いなかったことになります。まさになんでもやり放題の別天地が突然開けたのですから、爆発的に増えるのも当然でしょう。
こういうふうにこれまでとかなり違う型の生物が登場する裏には、それまでの生態系が蓄積し続けてきた廃棄物の存在があったというのが私の言いたいことです。そういう廃棄物は従来の生物の手におえないからたまったわけで、なんかの偶然でその廃棄物を利用して生きられるようになった生物は食べ物の山の上に産み落とされたようなものです。廃棄物を利用できない従来の生物はそこに住めないから、新しい生物は食べ物だらけで敵のいない世界で大繁殖できるわけです。



大串幹夫

過剰適応による不適応のプロセス

蘆原さん、「過剰適応」ですか?

>逆に、ある特殊な状況に過剰適応してしまうと、状況変化があったときに対応できず、存在ができなくなるのではないか、というの先の投稿で言いたかった趣旨です。<(8955、蘆原さん)

これって、「奢れる者久しからず」っていうことでしょうか。「過剰適応」という言葉が適切とは思いませんが、言わんとすることはなんとなくわかります。過剰というイメージから類推するに、長期にわたって安定的(→恒常的→固定的)に適応してきた。あるいは、他者(他種)との関係において、圧倒的な力の差によって他種を滅亡に追い込み自らの種の個体数を過剰に増やしてきた、ということでしょうか。
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進化の結果はやはり偶然?

蘆原さん、こんばんは。

生物(とりわけ人間)が、これほど複雑化・高度化してきたのは、その進化系統樹上に存在した生物にかかる生存圧力が高かったから、という主旨だと理解しました。(もっとも、適応していない生物の大多数が絶滅したのは事実だと思いますが…。)

しかし、もっとも適応した生物が「進化の袋小路」に入り込んでしまうのであれば、生物はあまり適応しすぎず、ほどほどが良い、ということになってしまう。進化に関する生物の主体性(適応可能性への収束)を認めたとすると、「あまり適応し過ぎないように、適当なところで止めておこう」という戦略が最良である、ということになってしまいませんか?

>一見、うまく適応しているように見えても、実は進化の袋小路でちょっとした圧力に適応できず、簡単に絶滅してしまったり、一方、適応できていないように見えても、それはより高次の形質を獲得するための前哨戦だったり。<
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